大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 昭和34年(オ)296号 判決

上告人 検事総長清原邦一

被上告人 渡辺フキ子

右法定代理人親権者母 長谷川愛子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人補助参加人等の負担とする。

理由

上告人補助参加人等の上告理由について。

本上告理由中、人事訴訟に属する本件を調停に付することなくして、直に判決した原審は、調停前置主義を規定する家事審判法一八条に違反し、かつ憲法三二条に違反する旨主張する部分がある。

なる程、家事審判法一八条二項本文は、同条一項所定の事件について、調停の申立なくして訴の提起があつた場合には、裁判所は、その事件を家庭裁判所の調停に付さなければならないとして居ること、所論の通りである。しかしながら、同項但書は、裁判所が事件を調停に付することは適当でないと認めるときは、その限りでないと規定して居る。本訴は本来、被上告人が菅原一郎の子であることの認知を求めるものであるから、同人を相手方として提起すべかりしものであるけれども、同人が既に死亡して居るため検察官を相手方として提起せられたのであつて、第一審は、本訴を右但書に該当する事件と認め、原審も亦第一審の所見を維持して居るのであり、原審の判断は正当である。本訴につき調停手続を経て居らないからといつて、所論の違法あるものといえない。しかも本訴につき適法な手続が履践せられた上原判決が言渡されたのであるから、所論違憲の主張は、その前提を欠くに帰着する。

更に本上告理由中、原審が亡菅原一郎の遺言状(乙一号証)の一部を鑑定を経ることなくして排斥したのは、職権主義を執る人事訴訟手続法に違反し、原判決に理由不備の違法があると主張する部分がある。

しかしながら、原審は、乙一号証の所論部分を原判決挙示の他の証拠と比較検討した結果、措信し得ないと判断したのであつて、その判断は是認し得られる。しかも人事訴訟事件についても、事実審たる裁判所は、その裁量権に従つて証拠調の限度を自由に定め得るのであつて、原審が職権により所論の証拠調の措置を採らなかつたからといつて、所論の違法があるものとはなしえない。

本上告理由の爾余の部分は、民訴三九四条所定の法令違背、同法三九五条一項六号所定の理由不備、理由齟齬をも云為するけれども、その実質は、独自の見解、原審において主張判断のない事項或は原判示に添わない事由を主張し、それに立脚して原審の適法なる事実認定、判断を論難するに帰着するのであつて、論旨は上告適法の理由とならない。

本上告理由は、すべてこれを採用し得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九四条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石坂修一 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔)

上告人及び補助参加人等の上告理由

第一、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令違背及び理由齟齬の違法がある。

1 本件は人事に関する訴訟事件であるから原告は訴へ提起前家庭裁判所に先ず調停の申立をしなければならないにも拘らず被相続人の血肉を分けた弟妹たる補助参加人等をして、

之をなさなかつたのは家事審判法本十八条第一項に違反し之を看過した原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な法令違背があり、且つ憲法第三十二条の趣旨に違反する。

2 原判決第三項によると被相続人故菅原一郎の遺言状に付き何等の鑑定もせず「被控訴人を認知しない」と云う記載部分は「その成立極めて疑わしく到底これを措信することが出来ない」として被控訴人の本件認知の請求を一方的に認容することは被相続人故菅原一郎の深慮を無視した判決であり補助参加人等として到底黙許し難く、かかる理由に基く判決は職権主義を背景とする人事訴訟手続法の立法趣旨に違背する理由不備の判決である。

3 本件認知の訴に関し補助参加人等が参加したのは左記の理由に基くものでありかかる被控訴人等の訴は日本古来の美風を破壊し単に私利私慾のためいたずらに無智な子供を餌にした悪意ある訴で之を社会的に認容することは永々苦々として礎きあげた祖先の日本的社会道徳を破壊することを憂慮するからである。

(イ) 補助参加人等の親権者及渡辺さくら等に関する見解。

被控訴人の親権者の養親渡辺さくらは其の養女長谷川愛子をして総ての打算的なる慾望を満足せんとするがためその手段として養女愛子を甘言を以つて利用し、更にその子フキ子を悪用し本件認知の訴を提起し更に被相続人自筆の遺言状を偽造したるが如き申立ては補助参加人等の人間性を疑うものである。

(ロ) 昭和二十一年十二月被相続人は渡辺さくら宅に於て渡辺愛子と事実上の婚姻入婿をしたが当時、愛子には以前より恋愛関係にあつた第三者との間に出生した子供が存在し同人の浪費性、放浪性等種々の性格上の差異により絶えず風波が起りために被相続人は経済的破綻に追い込まれ離別するの止むなきに至つた又当時愛子は養母さくらの甘言により被相続人と同棲するの止むなきに至つた、ことを友人間に伝へ相続人と結婚する意志のないことを洩らして居た。

(ハ) 昭和二十三年二月被相続人は同人と養母さくら及び養女愛子との間にある三角関係に心痛し補助参加人菅原幸治宅に居を移した。

又養母渡辺さくらは他の男性との間に内縁関係が生じ菅原一郎は非常なる恐怖心を抱きかかる問題が其後数回に及びたるため渡辺さくらとの争いは絶へず菅原家としてもこれがため多額の経済的出費をなし補助参加人等は日夜苦慮したのである。

(ニ) 昭和二十五年五月私生児渡辺フキ子出生したるも母親愛子は京都方面に行方不明となり四、五年以上も音信不通となつた。

その後昭和三十一年九月同人は札幌市在住の長谷川某の子を宿し渡辺さくら宅に戻りたるため同人は被相続人に対し極度の精神的苦痛を感じその非を隋所に告白していた。

又昭和二六年六月渡辺さくらは思うままに花屋旅館を営み居り些細な問題を種に事実無根なる窃盗罪を作り上げて被相続人を留萌警察所に留置せしめた。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例